知識粒

クラッシックや映画音楽、作曲家にまつわるネタetc.をご紹介!

言語学者!?アメリカ軽音楽の巨匠 ルロイアンダーソン(2)

シリーズ第一弾 ルロイアンダーソン(2)ということで

お送りしていきます。

 

 

はじめに

前回は、ルロイがハーバード大学

奨学生として通い出すところまでお話ししましたが、

 

本シリーズでは、誰もが一度は聞いたことのある

Sleigh Ride(そりすべり)」「タイプライター」

「シンコペイテッドクロック」などを作曲した

20世紀のアメリカの音楽家 ルロイアンダーソンについてご紹介しています。

前回記事をお読みでない方は、ぜひこちらからご覧くださいませ。

popportoop.hatenablog.com

 

1920年代〜

楽家?それとも…?

 

1925年9月に大学へ入学したルロイは、

1929年に音楽で学士号を取得します。

 

しかし1930年に修士号を取得し卒業する前に、

ヨーロッパのナディア・ブーランジェ(1887ー1979)の元で研究するための奨学金を、

大学から断られてしまうのです。

 

音楽では食べていけない

と考えていたルロイは、提携の女子大

ラドクリフカレッジで音楽の講師を務めるなど

音楽の活動をする一方で、

 

1931年から1935年まで

ハーバード大学言語学研究員となり

ゲルマン語スカンジナビアの博士号を取得します。

 

言語学者としてのルロイ

 

彼は最終的に、母語である英語に加え

デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語

ドイツ語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語

の計9ヶ国語に精通しました。

 

え〜〜ハイスペック過ぎ〜〜〜(・∀・)

 

本人は音楽のキャリアに全く期待していなっかたそうで、

実際、語学教師になろうとしていました。

 

ちなみにもう少し時代は進みますが、

1942年 第二次世界大戦にはその言語能力を軍部に買われ

米陸軍対敵諜報部隊アイスランド語の翻訳、通訳を務めています。

 

ついに転機が訪れる

 

ではでは時代を戻して

1936年、

ルロイは院生で大学バンドのディレクターを務めているときボストンポップスオーケストラのための編曲を依頼されます。

これをきっかけに彼の音楽人生は動きはじめます。

 

1938年、

ボストンポップスオーケストラは

ルロイの最初の作品である  ジャズピッチカートを演奏し

すぐにヒットさせたのです。

 

楽団のディレクターであるフィードラーはすぐさま

ルロイに、さらなる作曲をすすめます。

 

そして翌1939年、ジャズレガートが誕生します。

こうして次々と名曲が生まれました。

 

2曲のURLです↓

https://youtu.be/x7gxXDto9vA ジャズピッチカート

https://youtu.be/z1IUoQrZICA ジャズレガート

 

おわりに

いかがでしたか?

言語学者!?」 とタイトルに書きましたが、

筆者ははじめてこれを知ったとき、かなり衝撃を受けました

 

でも、たまにこういうのってあるんですよね。

医者であり作家などはそこそこ聞きますけど、

科学者であり音楽家なんてのも…!

いつかご紹介できればなと思います。

 

お読みいただきありがとうございました!

次回も続きからお送りします。どうぞお楽しみに!

 

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